トルコ旅行記⑦~ボスポラス海峡クルーズ船~
オスマン帝国の襲撃、ロシアの南下政策…
数多の歴史の舞台となったボスポラス海峡をクルーズできるなんて、
とても興奮しますね。
ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味があります。
なぜ?このような変な(失礼)所以があるのか…
それはギリシア神話のゼウスの不倫話からきているみたいです(不倫はゼウスの得意技)。
ゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿へ変えました。
ヘラはそれを見破り、恐ろしいアブ(虻)を放ったそうです。
そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、
牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったとされます。
長さは南北約30キロあります。
幅は最も狭い箇所で698m(狭い!)
最も広い地点で3700mです。
水深は36~124mほどあります(いがいと浅いかも)。
両岸の全域はイスタンブール市の行政区内です。
さあ、出発です。
船内はこんなかんじです。ゆったり座ることができます。
左に何かみえてきました。
ここは、オルタキョイ・ジャーミィ(モスク)と呼ばれているところです。
アルメニア人の建築家によって設計されました。
1855年、アブデュルメジド1世の時代に完成しました。
内部の壁は、ほかのモスクでは見ることができないピンク色です。
要塞?城らしきものがみえてきました。
ここは、ルメリ・ヒサルと呼ばれ「ローマ人の土地の要塞」という意味をもちます。
当時のコンスタンティノープルは、ビザンツ帝国の首都です。マルマラ海と金角湾にはさまれた半島の一帯に中心部があり(現在、旧市街と呼ばれている)、海と古代ローマ帝国来の堅固な城壁に守られた難攻不落の城塞都市となっていました。
ここを攻略するために、メフメト2世がわずか4か月ほどの短期間で造営した要塞です(1452年)。
下の写真はオスマン帝国の王宮、ドルマバフチェ宮殿です。
埋め立てられた庭園という意味らしいです。
バロック様式と伝統的なオスマン様式を取り入れた壮麗な宮殿です。
トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていました。
下の写真はチュラーン宮殿です。
ここは、19世紀に建設されたオスマン帝国の宮殿です。
完成後、スルタンのアブデュルアズィズが居住しましたが、
1876年に亡くなったため使われたのはごくわずかな期間でした。
次のスルタンであるムラト5世はそのままチュラーン宮殿を使用しました。
しかし、わずか93日で退位し、亡くなるまでここで軟禁生活を送りました。
今でも現役の迎賓館として使われています。
日本の熊谷組が買い取り、大規模な修復が開始されました。
この修復工事ではホテルとしての機能が追加され、1990年からはドイツのケンピンスキーが、
同国の最高評価である5つ星の格付けを持つ高級ホテルとして運営しています。
下の写真はクレリ陸軍士官学校です。
ここは、トルコの高級住宅街です。おしゃれな家が立ち並んでいます。
土地も高いんでしょうね。
大きな橋がみえてきました。
ボスポラス海峡には3つの大きな橋がかかっています。
第一ボスポラス橋(全長1,074m、1973年)
第二ボスポラス橋(全長1,090m、1988年)→日本の円借款によって日本企業が建設しました。
第三ボスポラス橋(全長1,400m、2016年)