イタリア放浪記①~トリノ編 キリスト聖骸布をみてきた!~
2010年、5月。処刑後のキリストの遺体を包んだとされる「トリノの聖骸布」を見てきました。
もう十年も経ったのか懐かしい…
キリスト教徒でもない私が(実家には仏壇もあるし、お坊さんも来るし、多分仏教徒だと思います)、ツアーを頼らず、航空券、宿泊、現地オプションなど全て自分で手配して、なぜイタリアに行ってきたのか?(今思えば無謀な奴…)
その概要を話していきます。
1.なぜ「聖骸布」を見にいったの?
2.「聖骸布」ってすごいの?
3.トリノの街並み
4.おわりに
1.なぜ「聖骸布」を見にいったの?
2010年、4月22日の昼どき。
私は職場で食後のコーヒーを飲みながら新聞を読んでくつろいでいました。
職場には地元の新聞紙を含め、3社の新聞を置いています。
全ての記事を丹念に読んでいたら時間がもったいない為、私はいつも関心のある記事だけじっくり読みます。
他は軽く見出しをみて、流すだけです。
いつものようにパラパラと流し読みしていたら、ある記事に目が留まりました。
「真贋論争に世界の注目」「トリノの聖骸布一般公開」「約10年ぶり」
キリスト教徒でもなく、イタリアに行ったこともありません。
聖骸布という文言を初めて聞きました。
そんな私の目を引いたのは
「約10年ぶり」という言葉でした。
「○○年ぶり」「限定○○個」
昔からこういうのに弱かったのを思い出します。
今、逃すと10年待たなければならないのか…。
10年後、自分がどうなっているか分かんないし、今、独身で多少暇もあるし、
もう開催しないかもしれないし…
俺の中の俺が囁きました。
「今しかないでしょ!」(どっかの塾の先生の名言に似ている)
そして、夕方にはツアーを検索している俺がいました。
しかし…どれを探してもローマやヴェネツィアなど、他の都市が入ったちょうどいいツアーはありませんでした(どうせなら、イタリアの有名どころを巡りたい)。
仕方ない、自分でツアーを組もう!
このときは勢いがありました。
根拠のない自信。
これが大事。
何とかなるだろう!
そこで、トリノ、ミラノ、ヴェネツィア、ピサ、フィレンツェ、ローマを8日間で巡る旅を計画しました。
航空券、宿、現地ツアー(例えば、フィレンツェからピサまで)、鉄道など全て自分で手配しました。
ミスがあってミラノの「最後の晩餐」がみれませんでした😢。
が、どれも印象に残る旅でした(他の都市については後ほどブログでアップします)。
2.「聖骸布」って何?すごいの?
全然興味ない人にとっては、ただの布だし、どうせ偽物なんだろと言えばそうかもしれないです。
ただ、カトリック側は本物と認めています。
カトリックのトップ、ローマ教皇ベネディクト16世も訪問しました。
世界中から約200万人が巡礼する予定です。
そこで、聖骸布について簡単に説明します。
やせた男性の全身の影が写真のネガのように写った長さ約4.4m、幅約1.2mの亜麻布。下の画像はウィキペディアから引用しましたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E9%AA%B8%E5%B8%83
この男性はキリストではないかと言われています。左側には人の形、長髪、髭、顔などくっきり写っています。
処刑前、頭部にいばらの冠をかぶせられたキリストは背中をムチで打たれました。
また、手や足にはくぎを打たれました。
聖骸布に残された血痕などの位置も一致しました。
血液型はAB型だそうです。
布からはキリストがいた死海周辺でしか群生しない植物の花粉が採取されました。
14世紀に、十字軍が中東から持ち帰り、後のイタリア王家の国王ウンベルト2世がローマ法王に献上し、現在、トリノの教会に収蔵されています。
〇本物説
2009年、バチカンの歴史研究家が布からキリストの名前や「処刑された」との文字を発見したとして、本物である可能性が高まったと主張しました。バチカンは「真偽に関係なく、信仰の重要な対象」としています。
〇贋作説
1988年、オックスフォード大学が布の一部を放射性炭素測定を行った結果、13~14世紀の生地と断定し、贋作説が一気に勢いを得ました。
3.トリノの街並み
聖骸布のある教会まではトリノ駅から街中を抜けて30分くらいで到着しました。
駅前はそんなに混んでいなかったです。ちょっと拍子抜けしました。
トリノはミラノにつぐ、イタリア第二の都市です。自動車メーカーのフィアットが有名ですね。
また、歴史がある都市です。イタリア王国成立時(1866年)はトリノが首都でした。
イタリアはそれまでバラバラでした(日本の江戸時代みたい)。
北は当時トリノをおさめてたサルディーニャ王国。
他国に干渉されず、イタリア人の国をつくろうという動きがでてきました。
中心人物は宰相のカヴール。
国王のヴィットーリオ=エマヌエーレ2世という人物です。
南は民間の秘密結社「青年イタリア」が統一の動きをみせていました。
リーダーはガリバルディという人物です。
ガリバルディという人物はイタリア統一の為に戦って支配してきた領土をヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に献上しました。
なかなかできることではないですね。
ガリバルディが私利私欲のために戦っていたらイタリアは統一できたでしょうか。
他国が干渉して長引いたのかもしれません。
他国にとってイタリアはバラバラの方がいいのです。
かつてのローマ帝国のように力をもつことを恐れていたのでしょう。
王宮にはたくさんの小学生がいました。国の歴史を勉強する際、やはり、トリノは外せないのでしょう。
教会に到着。周囲にはびっくりするぐらいの人がいました。
入り口はここではありませんでした。
公園みたいな所に移動させられて2時間くらい並びました。
駅の閑散?は何だったのか。
中には熱心な信者もいるので、その人たちの気分を害することなく静かに並びました。
中に入ると立ち止まって、じっくりみることはできませんでした。
数分経過すると移動させられました。
見学後は、近くの喫茶店に入りました。何も食べていなかったのでピザを注文しました。
美味しかったです。
4.おわりに
聖骸布があるところは、本当に小さな教会です。ここに世界中から集まってきています。
私は熱心な宗教信者ではありません。
並んでいる間、信仰について、いろいろな思いを巡らせました。
並んでいる人は何を思ってわざわざイタリアまできたのか。
お金、時間、様々なものを犠牲にしてきたと思います。
しかし、信仰とはまた別の次元なのでしょうか。
いや、俗世で生じるものと同じものなのでしょうか。
日本人は私だけでした。多分、信仰心の厚い日本人だと思われていたのでしょう。
ただ、日本の新聞の片隅にある記事に心躍らせてきたことは、誰も知らないでしょう。