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比叡山延暦寺~根本中堂~

ずっちゃん
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延暦寺の総本堂、根本中堂にやってきました。

比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂と言われているそうです。

788年、最澄が現在の根本中堂の場所に小堂を創建したのが始まりとされています。

本尊は薬師瑠璃光如来。最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられており、その宝前に灯明をかかげて以

来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けていることから

「不滅の法灯」と呼ばれます。

しかし、1571年9月30日、信長の比叡山焼き討ちの際、消灯してしまいます。

しかし、山形県山形市にある立石寺から分灯を受け、最悪の事態を免れました。

中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師

堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとさ

れます。

私が行ったときは、このようにフェンスに覆われていました。

2015年から大改修が行われており、完成予定は2025年度との事です。

根本中堂は何度も焼失し、再建されてきました。

①1435年、室町幕府第6代将軍足利義教が山門使節を処刑しました。これに抗議する山徒24人が根本中堂に立て籠もって火をつけ集団自決する事件が起きました。足利義教はくじ引きで将軍になったことで「くじ引き将軍」と呼ばれます。この事は彼に、かなりのコンプレックスを与えたことと思います。

②1443年、南北朝の対立時、南朝復興を目指す一味が根本中堂に立て篭もりました。朝廷から追討令がでた事により幕軍や山徒により討たれる事件がありました。

③1499年7月、細川政元と延暦寺が対立した為、政元の家臣によって焼き討ちにされました。

現在の根本中堂は徳川3代将軍家光によって再建された。進言したのは、慈眼大師天海と言われています。

1634年から8年の歳月をかけて再建されました(完成は1641年)。

上の写真は、伝教大師童形像です。童形とは、少年時代の最澄の事です。

最澄は生まれたときに薬師如来像を手にしていたと伝えられているので、この像も薬師如来像を持っ

ています。

ずっちゃん
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比叡山延暦寺

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