コロナ報道について思うこと①外出した奴は悪?
2021年、年が明けても主要なニュースはコロナ関連のことが中心となっている。
東京を含めた関東圏でも感染者はおさまらず、世界的にも増加傾向にある状況下では
仕方ないことである。
また、感染者○○人、重傷者○○人など具体的な数字を示すことはとても大事である。
しかし、
「初詣や駅伝などで密になっている」
「○○市役所の忘年会でクラスター発生」
「○○県議会議員が10人以上で会食」
「国会議員、首相が○○人以上で会食」
など、少し過剰な報道が目立つ。
確かに、これらを反面教師として注意を促すことはいいと思う。
しかし、その焦点、目的が
コロナ渦に対する有益な情報を提供するというよりも、
謝罪や処罰を求めることに主眼を置いている感がある。
その背景には、
私は我慢しているのに、楽しみやがって!
私の行動は正しい(自宅にいる人)、彼らは悪い(外出している人)
許せない!処罰しろ!
という感情が働いているのでは。
まるで「先生がいないところで○○君が掃除をサボっていました」
などと告げ口をする子どものようだ。
悪いこと探し、あら探し、
謝罪したら、それで終了。
あとのことには関心なし。
そして、また新たなあら探し。
緊急事態宣言が出され、ロックダウン、外出自粛を求める状況下なら仕方ない。
しかし、今はそうではない。
初詣、駅伝…
結果的に密になっていたのかもしれない。
そして、どうしても来なければならない理由もあった人もいる。
例えば、
家族がコロナで亡くなった、倒産した、だから今年はいい年にしたいからお参りした
駅伝をみることで今年も頑張れる。
など、どうしても行かなければならない人、野次馬でいっている人。
それらを、この人はいい、この人は悪いなどと分類できない。
皆、悪い人となってしまう。
老婆が必死に手を合わせている映像とナレーション、テロップの乖離が酷い。
そこで、
このような状況でも皆マスクをして感染対策をしています!
などと伝えてみればどうだろか?
司会者「密になっていますね」
コメンテーター「政府、県、主催者の対策が甘いのでは」
司会者「○○県議会議員が10人以上で会食しました」
コメンテーター「意識が足りませんね」
コメンテーター「罰則を設けた方がいいのでは」
という受け答えにはもうウンザリである。